枡の歴史について
まずは、これを辿るために、一升枡についてお話しします。
これは、主に納税の税制管理に大きく関わってきました。
しかしながら、現代とは異なり、この税というのは明治時代当時の税、つまり年貢と呼ばれるものです。
城下や地方に住む市民や農民は毎年毎年、繰り返し年貢を領主に納めて生活を送っていました。
しかし、昔は面積を1つの単位として行なっていたり、公で決めたわけではない、
ある程度の境界線を引いた土地で年貢の取り立てや納税を行なっていた時代や地域もありました。
この場合、あまり作物が取れなかった地域や農作業を怠った者からの年貢が少なくなる可能性が出るため、
土地の大きさをしっかりと確実に測定して、年貢の納める量を予め定めてから、
その土地ごとに毎年年貢を納める仕組みへと変化していきました。
そして、ここで登場するのが冒頭で言ったモノです。
これを用いて正確に測定して、その測定した率に合わせて年貢を納めさせることが出来るように、
税制を改定してきたのです。
その土地や地域の全域で農作物が不作であった年は、年貢の負担率を軽くしたり、
大地主の率は公平性の観点から少し高くするなどの措置も取られてきた記録もあります。
これらは現在の税金の控除制度や累進課税などのシステムに近い部分があります。
したがって、枡の歴史は昔の納税のシステムと大きく関わっているのであり、現代のシステムにも少なからず貢献しているのです。